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2017.11.22

What happened to me when I got on a boat this one gloomy day with hyslom and Tetsuya Umeda is experiencing time as a a tactile, wet and airborne thing. A small motorboat towed a pontoon. This small interconnected human atom broke through the vast spaces of Osaka Bay at a rate that had nothing to do with all the things needed to deal with. After an hour on the water I realized that I had to cancel the evening activities. When we finally arrived at the fishing port, it was long after lunch and the meeting that had not taken place. The return lasted and continued, measured rhythmically by larger and smaller waves bouncing from larger vessels. There was no other way: this time had to emerge from a small engine small boat on the big, dense, dark sea. And it created a long flow of a day turning into a night, when there was no difference at all between the water, time and air.

The area we traversed that day is almost completely man made. What stroke me too, is that this huge territory contained almost no human beings. As if we humans were termites moving the land mass into the sea, contained things of unclear status from one continent to another, burning ore and extracting sand from the bottom of the sea for a reason that has more to do with our physiology and Instinct to pull, push, move and fall, and start over and over again. But docks, airports, motorways, industry and science parks, what is left behind from centuries of these activities, in different moments of emergence or destruction  - from some perspectives (like that of a boat) where just and nothing but a landscape. A geological movement of sorts.

Anna Ptak 

2017.11.29

朝から幸先がよかった。

はず

ペットボトルのお茶を5ついただく。

うなぎ漁は現在自主規制中。

約1mの竹をくりぬいて、灰汁を抜きます。

川底に沈めると、そこが寝床になります。

エンジンの高さはこれくらいですか?

少し引きずってる感があるのは、ボートとの距離の問題でしょうか?

いいえ、違いました。

もう少し下げましょう。

水面が近い。

雨も降ってきて、どんどん降ってきて視界が悪いのですが、遠くの景色はくすんでいて、ゆうくんはそれが好きだといいました。

水鳥は水面をパタパタと早足で駆け上がる。

船に乗ったまま溶接をするおじさんは、手元を狂わせることなく、作業をしている。

たぶん。知らんけど。

穴をくぐろうと思ったけれど、入れなかった。

幸先が良かった・・・はず。

気づけば、目の前にホシ4つ。

​さっぱりわやですわ。

2017,04,08

研究員としてはじめての出航。どんな風景が見えるのだろう。

2017,04,08
なんか飛んだ!
2017,04,08
2017,04,08
2017,04,08
2017.12. 3
2017.12.11

魚の寝床になってたりしちゃったりなんかして

昨年から、なんか「船」とか「川」とか・・・

出航します!

2017.12. 11

「ぼくらはここに来るまでにあそこを通ってきた」

梅田君が、正多角形の窓の集合体でできたドーム状のガラス越しに広がる海面を指差してそう言った。

 

その海面をずっと遠くのほうまで視線をむける。

 

動き続ける波。海は絶対止まらない。遠い地平線のあそこでもやっぱり波は動いている。あの先に何かある。だって動いてるんやもん。あの地平線のところで世界が終わっているなんてことは絶対ない。海と空と地平線しかないところで、例え地球が丸いということを知らなくても、きっと人間はそう思うに違いない。

 

完璧に防音されて外の音が一切しないこの場所から、動き続ける海を見ながら、ヒスロムがバルト海を横断する旅の一部に同行させてもらった時に船の上で思ったことをぼんやり思ってうた。

 

あれ、ここはどこ?

ん、隣に梅田君いるけど。

 

もうすでに時空を超えていた。

 

全長30mの巨大な帆船に入る。こんな大きな船、人間が作っん?信じられへん。キッチン、貯蔵庫、タンス、神棚、まるで家。この船で15人くらいの船員たちと過ごす時間。

 

ギーコギーコ(マストをあげたり下げたりする音)

ウェイヘイウェイヘイ(船員たちのかけ声)

バタバタバタ(風がマストに当たる音)

ドーンドーン(船頭が海を打ち付ける音)

ドスドス(船員たちの足音)

コトコトコト(ごはんが炊ける音)

 

船の先のほうから、梅田君、ぷぅちゃん、至君が「こっち来てみ!」

 

うわー。動いてる!船が!動いてる!ドーム状になった天井は多角形の構造で区切られていて、その構造の向こう側で雲が動く。その様子を見ながら船の先っぽにいると、本当に船が動いているみたいだった。

 

海の匂い。風が身体に当たる感触。遠くを見る。

 

帆が風にたわんで、船尾にいるゆうくんがちらっと見える。

海に乗っかった瞬間、人間が小さく遠のいていった。

 

あ、また、時空を超えていた。

 

1850-1860年代の船場の町並みの模型。その時代を生きている様々な人の人形に、その人たちを取り巻く生活に、思いを馳せる。

 

どんな音が聞こえてるんやろ。この人なにしてんの?

あそこで何話してるんやろ。この井戸どうやっていけるん?

あ、あの天狗担いでる人にについていってみよう。

 

ほら、また、私、時空を超えていた。

 

たった160年で人間の生活は劇的に変化した。

あんなに高いビルだって、あんなに広い埋め立て地だって、世界中どこでも行ける交通手段を産み出したり。自然の力もすごいけど、同じくらい人間の力もすごい。

 

地球が誕生した時、宇宙には時間と空間と物質しかなかった。

そして人類が誕生した。奇跡や。

もうそれ自体が奇跡なんやから、人間はまだまだ何かに挑戦できるに違いない。
そう思った。

2017,04,08
2017,04,08
2017.12. 20

風の強い薄曇りの中、集合場所である中之島港からヌートリアの死骸を横目に、という不吉な乗船。

ちいさなアルミボートでちいさなゴムボートを牽引しての二艘で航行する。なんと、ヒスロムと梅田さんと、応募した研究員1人=わたしの5人。

 

出発時の不吉さとは裏腹に川へ出て海に向かう頃には日差しが顔を出し、そばにいたカトウさんが頻りに「やっぱ太陽ええわ。」と言っていた。

 

安治川を少し海側に進むとたくさんのカモメが飛び交っていて、岸でおじさんが餌をやっている。こっちも真似て、くるくる飛び回る中でおやつにと持っていたおかきを砕いて投げてみるが、おじさんのように集められない。興味がないことはなさそうだったが、空中でキャッチしたり寄ってくるという感じではない。餌が悪いのか、信頼関係の問題か、はたまた別の理由なのか。まぁそもそも、おかきの飛距離がだいぶ短い。

 

海へつながる水門手前まで進んでから引き返し、土佐堀川を東へ進んでいく。

牽引しているゴムボートが波で浸水したりする中、カセットコンロで作った白菜スープを食べたり、川沿いのビルの中に居るはずの知人を川から呼んだり。 『研究員としてリサーチに同行する』という時の身の置き所がわからないかと思ったのだけど、船に乗り込んでみればなんとも自然で気楽なものだった。お腹がすけば食べ、耳を澄まして見て嗅いで、たまにちょっといたずらして、くたびれれば寝転び、航路も臨機応変でひたすら好きに過ごす。パフォーマンスをひかえた作家でもない名ばかりの研究員にはなおのこと。

 

燃料を補充するため、一瞬淀屋橋に上陸した。陸上はいつもと変わらない。平日の川は空いている。

川については少し詳しくなった。潜ったことはないが、以前の船でライトに照らされた川の中にたくさんの魚影を見たので、水中のことも意識する。

 

中之島を抜けて天満橋あたりまでくると川はひらけて空が広くなる。唐突に側にいたカトウさんが「アートコートギャラリーってこんなところにあるんですね。」というので面食らっていると、ちょっとギャラリーに寄るとのこと。梅田さんが箱からフライヤーを取り出してと言っているのが聞こえる。フライヤーを渡しに来たのか。船で。

 

約束があるわけでもなく、ぞろぞろと展示を一通り見て回り、普段通り営業してしていたギャラリーの人にフライヤーを手渡す。「船で川から来た」というとやはり驚かれる。

ギャラリーには鑑賞しに来ている他のお客さんもいて、都会の真ん中のギャラリーで、川辺にあるとはいえ胴付きの長靴にライフジャケットを着た集団に遭遇してしまったのですね、みなさん。

「お見送りします。」と暗に帰るよううながされ、川に戻って見送られながら、また東へ進む。

 

夕暮れ空が一層広くなって、2艘きりで静かに進む。

環境音も美しいけど、音楽を聴いても最高やろうなと思う。

 

ちいさな造船所で下船。

冬の陽はつるべ落としで、荷物を降ろしたりしている数分のうちにすっかりとっぷり暮れていた。

 

 

 

小学生の頃、家が校区の端だったので学校までの距離が遠く、その小学生の足には長い道中のわたしの1番頻繁な妄想というか願望が『通学路が冠水して川になり泳いで学校に行く』というものだったのを思い出した。その想像はいつも決まって、でも、犬のフンと同じ水に浸かるのは嫌やな、というところに行き当たって終了していた。

先日タイに行ったら、民家の間の道が唐突に冠水していた。水位は踝までしかなかったけど、夕暮れ時で見た目には一面水が張り川のようになっていた。

 

 

淡々と並べたけれども、わたしは終始楽しく興味深く、時にはそれらではち切れそうになったりしていた。

2017.12. 22

駅から海沿いを歩く、強風と陽射しで尖った波は鉛で、上にふっくらとしたカモが2羽。ススキの空き地は区切りが分からず、野鳥園の坂と段を駆け上がり下りる。

 

歩いて水中の地下へ、見上げた2mほどの底の藻と魚が眩しい。

温室のような館内は季節や時間を錯覚しそうになる。

天辺近くに割れたガラスがひとつ、少しの全体の圧が集中したひび。徐々にか一気に

閉じている数年の経過が短い気がして、空気やほこりでわからない。ここに留まる船は、香って、育っているよう。

話す人たちの目の球面がキラキラしている。木と石への信頼。鳴りの楽しい甲板

 

谷四へ陸路か水路か、コートにひっつきむしと木屑。大阪城背後に集まる書き割りのような高層ビルの反射。模型で見る川や陸や人はなぜか楽しそう。   

デ・レーケ

2017,04,08
2017,05,24
2017,05,24
2017,05,24
2017,05,24
2017,05,24

2018,01,02

海というのは得体がしれない。汽水域ともなるともっとわからない。今、自分が海の上にいるのか、川に流されているのか。

 

人間とは、つくづく概念で生きているんだと思わされた。

ひょっとすると、明治維新ぐらいまでは、概念よりも三半規管とか頬のうぶ毛とかをスッと信じる事ができたのかもしれない。

なんて思っていると、「では、上陸しましょうか」と告げられる。

ロープワークをしながらの彼等のお互いの目配せは、「ここで予定を変えても燃料は大丈夫だよね」「潮目がかわって、戻れなくなるようなことは無いよね」などの、運航の確認をしているように思える。それらのやり取りを見ていると、特に上陸の計画が事前にあったわけではなさそうだ。

アーティストの制作現場、いや、研究員と名付けられているからには、この工程はリサーチなのか?確認なのか開発なのか発見なのか、それが世界に向いているのか、自分に向いているのか、そのどちらもなのか、わからないけれども、「研究」は、汽水域の水面みたいなものなんだろう、ぐらいの認識でとどめておく事にした。その方が通り過ぎる船や、波、鳥の飛び立ち、などを受け取ったり受け流したりしやすい気がした。

そんな事を思って見つめている、狭くなった視線の中に、急に大きな音を立ててカモメが着水した。

2017,05,24
2017,05,24

2018,01,14

遠くから大きな船が近付いて来る。正面から見ると、舳先が斜めになっているので、小さいこちらからみると本当に大きく見える。

なんとなく、勝手に碇(いかり)は縛り付けてあるものかと思い込んでいたけれど、近くで見ると穴の中から出て来る事がわかった。真下ではないとは言っても、あの穴から何トンもある鉄のかたまりが落ちて来たら、文字通りひとたまりも無いだろうななんて想像をした。ゲームで狙われている相手キャラの気分がわかるような気がした。

そう言えば、地球は1km進むと8cmぐらい(間違ってたら訂正してください)下がっているらしい、10kmだったら80cmか、けっこうだな。地球て丸い。

大きい船は舳先から現れるらしい。

2018.03.01

フットサル場は、いつもシャカシャカいう場内BGMと一緒に、船の進む速度でフェイドインして来た。少年たちの、ちょっとキーの高めのかけ声が聞こえることもあった。緑色のネットの格子までは見えなくて薄いベールがかかっているように見えた。

 

あの場所へいけるのか。ずっと船の住人であろうとしたからだろう、こっちとあっちは、そう簡単に行き来できるものとは思えなかった。

 

私にフットサルができるとは到底思わなかったけど、あのベールの中に入ってみたくて、観るだけでもいいかと思って参加した。

 

JR大正駅からバスで5分。スマホで地図をみながらすぐ着いた。世界は簡単にくるっとひっくり返る。気がついたら走っていた。たぶん、そこは彼岸ではなくってフットサルコートだったから。

 

あんなにコートを走り回ったにもかかわらず、全くゲームの役にたってなかったことからは目をそらせよう。

 

怪我は、大丈夫だったのかな。

2018.03.09

ゆうゆうと乗り込んでいるヒビにはギブス。

星は蛇行することなく水面をスイスイと滑るように進み、何だかうまく行きそうな気がすると思い至った

2017,11,02
2017,11,02
2017,11,02

2018.11.02

寒さは身体の芯を温めている。地面からくるぶしまでだけが冷たい。水脈つ串よ。

2017,12,11
2017,12,11
2017,12,11

2018,12,11

海や広い河川は、圧倒的に人間を小さくする。海の潮、川の流れ。

流れに従う時と逆らう時では人間は大きさを変える。

当然のように夜のほうが視力は上がる。目が良くなると潮の匂いが鼻の奥にしてくるのは偶然じゃないと思っている。

奥からゆっくりとやってくる潮の匂いは、小さい頃に高い塀の上から飛び降りたときの鼻腔に充ちた鉄の匂いとほぼ同じだ

2017,12,11
2017,12,11
2017,12,11
2017,12,11
2017,12,11
2017,12,11
2017,12,11
2017,12,11

2018,12,11

「水脈(みを)つ串(くし)」の意。「つ」は「の」の意の古い格助詞。難波の淀(よど)川河口のものが有名。昔、淀川の河口は非常に広がっていて浅く、船の航行に難渋したことから澪標が設けられた。歌では、「わびぬれば今はた同じ難波なるみをつくしても逢(あ)はむとぞ思ふ」(『後撰和歌集』)〈⇒わびぬればいまはたおなじ…。〉のように、「身を尽くし」にかけ、また、「難波」と呼応して詠まれることが多い。

2017,12,14
2017,12,14
2017,12,14
2017,12,14

2018,12,11

海に際して、クラゲを詠んだ正岡子規と、遊郭を詠んだ夏目漱石。

​月も目に見えぬ速度で移動している。それに合わせて水面の月もひっそりと移動しているが空の月よりも少しだけ速い。

2018,12,11

世界で最も潮の満ち引きが大きいのは、カナダのファンディー湾で、15メートルにも及ぶそうです。おおよそビルの5階分。アジアでは仁川で、10mほど。水が引くと、まるで陸地が現れたようになるそうです。

2017,12,16
2017,12,16
2017,12,16
2017,12,16
2017,12,16
2017,12,16
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